fp-lifefactoryのブログ

言葉のアプローチから、日本を検証していくブログです。

日本・誠実な国民

日本は、国として

表現を数値データや現実として

実態して存在している訳ですが


それを楽しむ皆さんは

「所属の国民」を名乗れるほど

実態を持っているわけではありません。


そうそう、ダイヤが読めれば、

理解できるはずだよね

なんて

有識者の態を、語る高齢者の


その人の「名」や「日付」は

表現に

がんばる国日本と

ペアルックにすらなりません。

身の内ではなく

他人事のように、解説しているわけです。


師匠や先生として、全く関係ない他人なんですね。

日本は、日本に準じない彼らのポストを引き継ぐ義務すらありません。

彼らは日本を継いでいると証明できない存在です。


外科手術好きの、サイエンティストのように

研究者ばかりで

「身内」の責任も愛情もないのに


うちの入院患者だ

といいたがります。


あんたの病院は、どこの組織だ!

と言いたくなります。


何が言いたいのかって?


日本の家族と名乗るなら

せめて「戸籍(国民台帳)」に

国のペアルック

「日付や綴りが、命の名前」って

クオリティの高いデータを

残したらどうなのさってこと

協力してこなかったのか?ってこと


チャンスは沢山あるんですよ。

別名を名乗れるんだから。

画号とか雅号とかペンネームとかに

協力を表明出来るのに、

してこないくせに

ダイヤが読めれば、理解できるのよって

他人事。



そんな風にね

表現と、実態が一致してない人たちが

日本にとって、どんな存在か。